ターミネーター2を斜めからレビュー
ターミネーターといえばSF映画の金字塔だが、母性とはなにか? 家族とは何か? という問題提起に満ちている。
一人の女から母へ、そして戦士へ━━という過程を経て、女性が成長する物語なのだ。ただ、ドンパチやりあうだけの映画じゃないんですよ!
- あらすじ
- 父親がいないジョン・コナー
- ターミネーター1と2は名作! 3は……。
- 人間の男よりもターミネーターの方が父親にふさわしい?
- また独りぼっちになったサラ
- なんでシュワちゃんは溶鉱炉に沈んでいったの?
- ジョン・コナーの名前に隠された意味
- まとめ
あらすじ
未来から送られてきた2人のターミネーター。一人はジョン・コナー殺すために、もう一人はジョンを守るために。
なぜならジョン・コナーは未来の革命軍を指揮するリーダーになる重要人物だから。二人のターミネーターの死闘が始まる……。
父親がいないジョン・コナー
ジョンは養子に出されているが、その養親はいい加減な夫婦。特に父親は血のつながらない息子を教育するつもりもない名ばかり父親。
実の母は精神病院に収監されてますから、ジョンは人生の人格形成に最も重要な時期を、実の両親不在で育ったわけだ。ぐれるのもしゃあない。
実の父は『ターミネーター1』ですでに死亡してるので、ジョンには社会の厳しさを教えてくれる父親がいないわけだ。
父親っていうのは、優しいだけじゃいけない。時には厳しく叱って子供の進路を正してやる必要がある。
個人的には、体罰を一律に禁止すべきだとは思わない。僕はね。
サラ・コナーも、ジョンの養親があてにならないことを知ってたのだろう。「父がいないのだから、私が父親の代わりをしなければならない」と思ったはずだ。
サラは『ターミネーター1』の頃のか弱い乙女を卒業し、自立した戦う女性へと成長するわけだ。
ターミネーター1と2は名作! 3は……。
『ターミネーター1』と『ターミネーター2』は名作です。間違いなく。
1において、サラは頼っていた男を失い、女として自立することを学ぶ。
そして2においては、サラは独立した女性として戦い、息子を守ることに成功する。
1と2は連続したストーリーってわけだね
そう。ある意味サラが最重要の主人公ともいえるかもしれない。
『ターミネーター3』がなぜ駄作かっていうと、サラの役割が終わってストーリーに出てこないから。これに尽きる。
母性と父性という家族のテーマが行方不明になってるから、見ごたえがないんだよね……。
人間の男よりもターミネーターの方が父親にふさわしい?
ジョンと一緒に遊ぶターミネーターを見て、サラはこんな風に思う。
「現れては消えていった男より、ターミネーターの方が父親にふさわしい」と思うサラ。
世の男たちは、刮目してこのシーンを見て考えないといけない!
父性まで機械に肩代わりされちゃ、僕たち男の立場はますます悪くなるよ……。ただの種まき役と化して、出産後は男はお払い箱!なんて近未来が来るかもしれない。(考えすぎ)
また独りぼっちになったサラ
物語の終盤、サラは敵のターミネーターにぎりぎりまで抵抗するが、あと一歩及ばない。この時、サラがついに諦めの表情を見せる。
ほんの一瞬だけ、ターミネーター1の頃のか弱い女性に戻ったような感じ……。
でもそこへシュワちゃんが現れて、敵を打ち倒すわけです。
敵をめでたく倒すわけですが、シュワちゃんは「もう俺がここに存在する必要はない」と言って、溶鉱炉に沈んでいくあの有名な別れのシーンとなる。
━━また独りぼっちになったサラ。常にジョンの面倒を見てくれると思っていたターミネーターは、去ってしまった!
サラがか弱い乙女に戻れる日はもう来ないようです……。
なんでシュワちゃんは溶鉱炉に沈んでいったの?
ちょっと疑問に思うんです、僕。
なんでシュワちゃんはかたくなに溶鉱炉に沈んで、ジョンたちと別れようとしたんだろう?
確かに、ジョンを敵のターミネーターから守るという役目は果たしたけど、もう少し一緒にいてあげてもいいのでは? と思ってしまう。
一つの解釈として━━シュワちゃんは人間の感情を高速で学習していた。
最後のシーンでシュワちゃんが、「人間の泣く理由が分かった」と言うセリフはその証拠だ。
シュワちゃんは自分がずっとジョンのそばにいると、サラとジョンをだめにしてしまうことを学んでいたのかもしれない。
完璧すぎる父親が存在してしまうと、母であるサラがまたか弱い女に戻ってしまうのではないか。それではジョンを守れない……。
なんて風に考えたのかもしれない。
ジョン・コナーの名前に隠された意味
スペルはJohn connor ですね。イニシャルはJC。
何か思い当たらないだろうか?
女子中学生と思ったあなたは間違いなく日本人。
宗教に明るい外国なら、すぐにイエス・キリスト(Jesus christ)を連想する。
イニシャルが一致しているのは偶然ではない。
そもそも、未来の救世主をまだ子供でいるうちに抹殺するというのは、新約聖書の『マタイによる福音書』のヘロデ王の物語と酷似しているのだ。
実はこの映画、こんな宗教的な側面もある。日本人は気づきにくいけど……。
まとめ
子供の頃に観たときは、シュワちゃんの無双ぶりばかり見てましたが、大人になって改めて見返すと、これは一人の女性の成長物語でした。
ぜひ、みなさんもサラ・コナーに焦点をあてて観てほしい!
やはり、『ターミネーター1』と『ターミネーター2』は連続したストーリーなので、セットで観るべきですね。
『ターミネーター3』は似て非なる別の作品としてご覧ください(笑)。