1+1=1こそが真理だった。タルコフスキー監督『ノスタルジア』レビュー
とても詩的な映画です。映像の芸術といえるような映画ですよ。
でも分かりにくいんですね。こういう純文学的な映画は余計な説明を嫌いますから、観客が自分で読み取らないといけないわけです。
めんどくさいですが、自分だけの解釈を考えることで、世界で一つだけの自分の映画が出来上がりますよ!
あらすじ
ロシア人作家アンドレイは、通訳の女性と共にイタリアを訪れていた。
ロシアに帰ると農奴となってしまうことを知っていながらも、ロシアにに帰国して自殺した作曲家を取材するために。
アンドレイは病気を患っているらしく、徐々に通訳の女性との関係が険悪になってくる。
そんな折、ドメニコという狂人に出会い、アンドレイは少しずつ狂気の世界に足を踏み入れていく……。
監督と主人公の名前が同じ
監督の名前はアンドレイ・タルコフスキー。主人公の名前はアンドレイ・ゴルチャコフ。
監督と主人公の名前が一緒ですね。
監督は明らかに主人公を自分になぞらえて作ったのです。
当時のソ連は共産国だったから、自由に国外に出ることができなかった。
どうしても出国するなら、亡命という形になったのです。しかも、家族はロシアに留め置かれたのです。当然、人質として。
監督は当時、映画をとるために家族を捨ててイタリアへ行くか、それとも映画をあきらめて家族をとるかという選択を迫られていました。
亡命か、家族か。究極の二択を迫られていた監督の境遇が反映されています。
アンドレイはなぜ出産の聖母を拒んだのか?
アンドレイはなぜか、出産の聖母に祈ることを拒みます。
おそらく、故郷(ロシア)に置いてきた家族のことを思っているのでしょう。
出産の聖母は、子供が欲しい人たちが祈りに来る場所です。
アンドレイはロシアに置いてきた家族のことが心配で、祈る気になれなかったのでしょう。
出産の聖母なんて見たら、家族のこと思い出しちゃうもんね
聖母像から飛び出してきた鳥の意味
聖母像から突然、小鳥がたくさん飛び出してきます。
これは、出産のメタファーです。
わかりやすい漫画的なメタファーだね
白黒のシーンはアンドレイの回想
この映画では、何度も白黒のシーンに切り替わります。
これはアンドレイの回想です。何度も何度もノスタルジアに浸るんです。現実逃避みたいに。
もしかしたら、アンドレイは故郷の妻に複雑な気持ちを抱いているのかもしれない。
必ずしも愛だけではなく、憎しみのようなものも……。
おっぱいを出す女とはさようなら
通訳の女はついにたまりかねて、アンドレイに激情をぶつけます。
そこで女は「私が欲しいの? 欲しくないの?」と尋ねて、服をめくって自分の片乳をさらけ出します。
大人の事情でこのシーンは載せられないので、(それでも見たいスケベなあなたはぜひ本編をご覧あれ)それと似た絵画をどうぞ。
上の画像みたいに片乳をアンドレイに見せるんですよ。
でもアンドレイは全く驚かない。
女は怒ります。「女として見てくれてないじゃん!」ってやつですね。
アンドレイは部屋を出ようとしますが、女が追いかけてきてアンドレイに罵詈雑言を吐き続けます。
怒ったアンドレイは女のお尻をスパァンと叩きます。
お尻を叩くなんてかなり親密な間柄じゃないとできないはずです。
やっぱり不倫してたんだね……
そして女はアンドレイの元を去ります。
狂人ドメニコに出会う
ドメニコに出会ってから、アンドレイは感化されはじめます。
ドメニコはなぜか進まない自転車をこいでいます。
いくら革命を起こしても、遅々として前進しない人間の歴史のメタファーでしょうか?
ソ連の社会主義革命が結局はうまくいかなかった当時の閉塞感の反映かもね
1+1=1の意味とは
ドメニコの家にはこんな数式が貼ってあります。
そして、ドメニコはこう言います。
「一滴の水に一滴の水を足しても一滴のままだ」
ドメニコの哲学を体現している言葉ですね。
ドメニコはどうも革命家くずれの男みたいだね
革命に疲れた男は、1+1=1という諦めの境地にたどりついたのかも。
男女が合体しても子供は生まれない、という意味もあったりして……。
そういえば、ドメニコの家にはこんな絵がかかってました。
こえーよ!
ドメニコはかつて、世界の終末が来ることを予測して家族を数年間幽閉したという過去があります。
幽閉された子供が親を見る恨めしげなまなざしを描いたのでしょうか……。
ドメニコの演説
ドメニコはローマで演説を始めます。
カンピドリオ広場のマルクス・アウレリウス像の上に立って演説するんです。
「世界は再び一つになるべきだ」と、ドメニコは力説します。
1+1=1の思想ですね。。
国と国が合体して一つになろうよってことだね
そしてドメニコはガソリンをかぶって焼身自殺を遂げます。
ドメニコが燃えているというのに、周囲の群衆は奇妙に無反応です。
実はマルクス・アウレリウスは『自省録』という著作を残していて、その本の中に「死とは肉体から解放されることだ」みたいなことが書かれているんですね。
死が解放であることを群衆は知っていたのかしら……
ろうそくの火は革命の火?
ラストシーンあたりで、アンドレイはろうそくの火をつけたまま広場を端から端まで渡り切ろうとします。
実は生前のドメニコから、そうするように頼まれていたんです。
革命の火を消すなという意味かな
ろうそくの火を広場の端に届けたところで、アンドレイは倒れます。
そして、有名なシーンに至ります。
上の写真には、彼の故郷の家(ロシア)が映っています。
ラストシーンでは、この二つが合体するんですね。
ここではそのシーンは載せませんのでぜひ本編でご覧ください。
もちろん、ロシアにあるはずの彼の故郷の家が、サン・ガルガーノ修道院にあるはずないんですよ。
つまり、これは彼の完全なる妄想。
夢幻的で美しいシーンであり、この映画の一番の見せ場です。
もちろん、異なる国が一つになるというドメニコの夢が叶ったとも言えます。まさに1+1=1が体現された世界なのです……。
ちなみに、この映画でイタリアのサン・ガルガーノ修道院は一躍有名になりました。
まとめ
『ノスタルジア』は幻想的で詩的な映画です。
有名なラストシーンは、革命の挫折とも読み取れます。
いま、僕らはむきだしの資本主義の世界で生きています。
弱者には生きづらい世の中かもしれません。資本主義を打倒しようとする共産主義はすでに死滅してしまいました。
資本主義を否定するユートピアの世界は、もはや夢の中のにしか存在しないのかもしれません。
僕たちはときどきノスタルジアに捕らえられながらも、資本主義社会の中で明日を生きるしかないようです。